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元興(げんこう)は、東晋、安帝司馬徳宗の治世に行われた2番目の年号。402年 - 404年。元興元年は3月に一旦、隆安6年に戻された上で大亨元年とされた。後に再び元興に戻された。 『資治通鑑』では、桓玄の簒奪に反対する立場から大亨の元号を使用していない。 *元年正月:桓玄追討の詔、司馬元顕を征討大都督とする。桓玄挙兵。 *元年3月朔日:先鋒の劉牢之、桓玄に降る。 *元年3月壬申:年号を隆安に戻す。桓玄、京師建康に入り、丞相となって全権を握る。 *元年3月癸酉:司馬元顕らを斬首。大亨と改元。 *2年9月:桓玄、楚王となる。 *2年12月:楚王桓玄が安帝の禅譲により皇帝に即位。国号を楚とし、建始の元号を立てるが趙王司馬倫が使った年号という理由で、すぐに永始に改元。 *3年2月:劉裕が挙兵。 *3年5月:桓玄は蜀に逃亡するも益州都護の馮遷によって斬首。 == 西暦・干支との対照表 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「元興 (東晋)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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